ぷあくんの日々

人と犬が幸せに暮らすために役立つ情報を発信します。

もうひとりの愛犬を迎えること

前回、亡くした愛犬の代わりはいない…と言い切った。

その考えに変わりはないが、それは「もう犬を飼うことが出来ない」という意味ではない。


残された愛犬の有無は、愛犬を失った悲しみの深さとは関係ないが、一人っ子の愛犬を失った時と、残された子がいる場合とでは、見える未来の景色は歴然と違う。

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愛犬家ならば、わかると思う。
ゆえに、傍らにいる愛犬が年を重ねた時「もうひとり…」と、次の子を考えるのは必然といえよう。

その想いが現実となり、運命の糸で結ばれた愛犬と出会えたなら慶祝である。
迎え入れた子が刺激となり「今の子」は、より長く元気に過ごすことが出来よう。
そして、その子は「今の子」と共に生きて歴史を紡ぐとともにそれを受け継ぎ、いつか「今の子」が先に逝く時には、涙に暮れる飼い主の傍らに残り、亡き子との思い出を宿した瞳を向けてくれよう。

そして、残された人間にあらためて飼い主としての使命を教えてくれる。

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この子のために、頑張らねば…

それは、愛犬を失った悲しみが薄れるのではない。


愛犬を失った飼い主は、真っ暗な世界に立ち尽くす。
その片手には、小さな蝋燭がある。
その蝋燭は、進む先の足下を仄かに照らしてくれる。
その小さな蝋燭こそが、残された愛犬なのだ。


いま、我が家には六実がいる。
菜々と24時間365日一緒に過ごしてきた六実は、菜々がいなくなってから暫く、明らかに挙動がおかしかった。

菜々がいないことが不思議で、家の中でもキョロキョロ辺りを見回しては悲しげな鳴き声をあげ、ゲージの中にいても菜々のゲージ側に寄ってうずくまり、菜々のいるはずの方向をずっと見つめていた。

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お姉ちゃん、どこ行っちゃったのかな…


犬は「死」を知らないと思う。
六実は、今でも菜々の帰りを待っているのかもしれない…



いつの日か、我が家に新しい命が訪れても、それが運命ならば、しっかりと受け止めたいと考えている。


菜々を忘れるわけではない。
菜々の代わりを求めるわけではない。

菜々との楽しかった思い出、菜々を失った悲しみは…飼い主の血肉となって、生涯共にあるのだから。





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