今回、愛娘ともいうべき愛犬・菜々を亡くして、たくさんのことを教わった。
その中でも、昔から持っていたひとつの素朴な疑問が、一瞬で氷解する…という印象的な経験をした。
ものすごく個人的な話だが、とても印象的な「悟り」に近い不思議な感覚だったので、この場に取り上げたいと考えた。
不謹慎な話だが、親が子供を亡くすことの「大きさ」は、複数の子供を持つ場合と一人っ子では違うと思っていた。
同じく、愛犬を複数飼ううち一匹を亡くすのと、一匹だけ飼っていてその子を失うのでは、悲しさが違うと思っていた。
大きな間違いだった…
子を失うのに、一人っ子も子沢山も関係ない。
ただ、その子を失った悲しみが心を引き裂き、それだけが世界の全てとなる。
心に浮かぶものは、亡き子の面影しかない。
ひとつひとつの瞬間が…
最高の寝顔が…
違うことといえば、残された子の存在に目がいくことで、悲しみと向き合わない瞬間があるというだけだ。
「犬の世話をする」という愛犬家の習性は、悲しみに打ち勝つ…
あとはこの子を頼んだよ…
そんな…人間の身勝手な解釈が、人間を支える。
それで、いいと思う。
亡くした愛犬の代わりなど存在しない。
新たに愛犬を迎え入れるとしても、それは全く新しい歴史が始まるということなのだ。