ぷあくんの犬飼い歴は、学生の時も含めて18年になる。
たいていの物事は、経験年数に比例して上達するものであるが、こと犬の飼い方、特に接し方に関しては必ずしもそうではないようだ。
ぷあくんは、犬に関しての本をよく読む。
犬の本は気楽に読める書籍が多いのだが、中には耳に痛く、厳しい言葉を散りばめて、その言葉が喉に刺さった魚の骨のように心に残る「読み手に媚びない本」もある。
プロの犬の訓練士藤井聡氏の著書で、その名も「犬にバカにされない飼い主になれる魔法の育て方」が、まさにそれだ。
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この本で強調されていることは、犬を擬人化してはならない…ということ。
人間の場合、愛情をそそぐ相手には「自分の気持ちを分かってくれる」という信頼がある。
しかし、犬にはその理屈は通らないと断じる。
犬の世界は完全なタテ社会であり、人間でいう友達のような対等な関係などなく、強い者には従い、弱い者は守るか排除するという冷徹な階級社会なのだ。
飼い主がしつけの時でもないのにオヤツをあげたり、散歩で好きに歩かせてそれに飼い主が付いていく行為を「優しさ」と考えることはなく、単に「甘さ」「弱さ」と解釈して「自分よりも下の者」と判断するだけなのだ。
そこには、人間のように「相手の気持ちを汲み取る」ことは一切ない。
飼い主は、常に「強い者(リーダー)」でなくてはならず、犬は「強い者(リーダー)」の支配下にあって初めて心に平安が生まれ、そのリーダーに従うことを喜びとする。
「六実はそんなことないよ…」などという例外はないのだ。
耳が痛い❗
愛犬が飼い主の口をペロペロ舐める行為も、愛情の表現ではない。
食い物よこせ~!と言っている
ご飯の時間を飼い主に吠えて教えるのも、お利口だからではない。
欲しいと言えばくれる下僕よ、ご飯出しなさい!
しつけでもないのにオヤツをあげることは、有害無益である。
くれるならいくらでももらうだけよ…
散歩は、常に人間の後に付いて歩かせねばならぬ。
下僕よ、ついてきなさい!
よく知られたしつけでも、意外に多くの人が実践できてないのではなかろうか?
愛犬を前にすると、どうしても「可愛さ」が先に立ち、甘さに負けてしまう自分がいる…
その点、女性はかなりクールである。
ゴンチは、常にオヤツを欲しがる六実にも、トイレを正しくした時や、長時間マテが出来た時くらいにしか与えない。
たびたびゴンチに叱られ、しょげるぷあくん。
「そんな軍隊みたいな扱いしたくないや…」
「それならアイボ買えばいいじゃん…」
「自分が世話しない方が、六実にとって幸せなんだ…」
…と、いじけては、余計に叱られる日々である。
犬を飼う楽しみ…とは、常に可愛い可愛いと言って撫でたり抱っこしたりすることではないのだ。
そんな飼い主には、犬はこう言っている。
思ってたのとは、違うようだ…
オヤツを食べる姿が可愛いから、欲しがったらついあげちゃう。
普段狭いところに閉じ込めているのだから、散歩の時くらい好きなように歩かせたい。
一番の楽しみであるご飯くらい、食べたい時に食べさせてあげたい。
普通の人が見れば「いい人だなぁ…」と微笑ましく思ってくれるだろうが、真実を知るプロの目からすれば、本当にダメな行為なのだ。
犬は、人間の心を理解しない。
犬の本質を理解して犬は犬として線を引くことは、決して非情な扱いではないのだ。
少しずつでも、飼い主として成長しなくてはならぬ。
「犬にバカにされない飼い主になれる魔法の育て方」をトイレに置いて、毎日凹みながらも目を通しているぷあくんであった。
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